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プロフィール

ルミコ

Author:ルミコ
28年ぶりで東京から地元に戻り、実の両親との二世帯住宅で暮らす子なし主婦。
3歳年下の夫+ワンコ2匹の家族編成で、自宅敷地内の一角で細々とネイルサロンを営んでいます。

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母侵入防止の柵を購入…。

2023.05.31 08:50|未分類
昨日は安らぎの火曜日。母がデイサービスに出かけて行く平日。
お迎えの時間が早いので、階段から距離をとって見送りをする。表情のない母がマスクをつけて、スタッフに手を引かれながら出て行った。ヘルパーノートを確認すると、朝のヘルパーさんが入ってきた音で目が覚めたらしい。送り出しヘルパーがいなかったらデイサービスにも間に合わないな。

さらにノートには「排水溝のネットがなくなりました。購入をお願いします」と書かれている。だからー、週末に買いに行けるからなくなる前に言ってってば! と、思いつつ、我が家のストックをとりあえず母の家に持って行く。
家の方は異常なしだったが、ふと私のサロンに目をやると、室内の電気がついている。おかしいな。消し忘れることなんかないのに。もしかして!と思い、外に回って、サロンの外電灯を見ると、やはりつけっぱなしになっている。
前日は夜のお客さんがいなかったから私がつけることはなく、これはまた母の仕業だ。

数日前、長野の立てこもり犯のニュースをやっていた頃、夫が帰宅すると母が私のサロンのバックルームにいて、私のことを探していたと言っていた。その翌日にもサロンの電気がつけっぱなしになっていて、母が手当たり次第にスイッチを押したようだった。
また夜のうちに勝手にサロンに入り込んだようだ。
サロンは別玄関があるので外と直接つながっていて、母が外に出てしまったら困る。もちろん施錠しているけれど、夜中に家の中を徘徊しているのだとしたら、正常な精神状態ではないのだから何をするかわからない。
何より、サロンには割れ物や刃物もあり、お客様用に清潔を保った状態になっている。別に母が汚いというわけじゃないけど、清潔かと言われたらそこらへんは信用ならない。何しろ、正常な状態の時ではないのだから。

家の作り的に、母の家の玄関を出ると、段差を2つほど上がってすぐ右手に私のサロンのバックルームがある。その奥にドアが見える。なので、私は仕事中も母の動向を気にしながら落ち着かない。
これは…、柵をするしかないな。

私はアマゾンでペットゲートを調べ始めた。以前住んでいた家には、ワンコの玄関飛び出し防止と、キッチンへの立ち入り防止のためにペット用の柵をつけていた。小さいワンコたちなので背の低いものだったため、今回の用途には合わないけれど、もっとちゃんとしたものがあるはずだ。
調べていると、赤ちゃん用のものがたくさん出てきて、突っ張り棒的な感じで仕切ってドアになっているタイプは、ドアにロックがかかって子供には開けられなさそうな作り。子供に開けられないのなら、認知症の老人も開けられないだろう。
しかし、お客様がお手洗いに行く場合、開け閉めが面倒だし、設置場所のサイズがイマイチ合わない。何より、自分が出入りする時に邪魔だし見栄えが悪い。
せっかくアメリカンヴィンテージのかっこいい輸入ドアをつけたのに、こんなドアをつけなきゃいけないなんて。

なんだかやるせない気持ちになってくる。

帰宅した夫にも相談して、アルミ製のジャバラを広げて置くだけのフェンスを購入することにした。サイズもフレキシブルだし、へんなドアのタイプよりデザイン的には許せる。レビューを読んでいたら、「元気な老犬にはちょうどいい」と書かれていた(笑)。元気な老人にも大丈夫だろうか。認知症のお父さんがキッチンに入らないように買ったというレビューもあり、なんだかちょっと安心する。やっぱりそういう悩みってあるよね。
本当は2階へ上がらないように階段にもつけたいところだけど、私の家への通路を遮断されたらそれはそれでかわいそうな気もするし、本当に何か困った時にも拒絶したような感じになって、それはよろしくない。
置くだけのフェンスなので、やろうと思えば簡単に移動できるだろう。これで私のサロンへの侵入を阻止できるのかはわからない。ただ、障害物があることで、「入れない」と判断してくれれば良いのだけど。

本当は、こんなことしたくない。母を邪魔に思っているとアピールしているようで、心が痛い。だけど、私の大切な仕事場を守らなければいけない。電気代も守りたい(笑)。



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テーマ:病気と付き合いながらの生活
ジャンル:心と身体

ボケてていいから、笑ってよ!

2023.05.30 09:10|未分類
今週の日曜は、母は無事に教会へと出かけて行った。前日の夜に「明日は教会だから用意して早く寝てね」と声をかけて、当日の朝はヘルパーさんが帰った後に、夫が「俺、ちょっとお母さんの様子見てくる!」と言い出して母に声をかけに行った。こんなとき、私が動く前に夫が自発的に母に接してくれる。お願いしなくても共有してくれる人がいることが、今の私の支えだ。正直、姉よりもずっとずっと気が利くし、母のことを想ってくれている。
母は「ちょっと眠いけど行くわよ。準備万端よ!」と言っていたらしく、迎えの車に乗って出かけて行った。留守になった家を確認するために入ると、寝室が生暖かく、なんとエアコンが「暖房」モードで26度になって付けっ放し…。外も26度くらいだと言うのに、狭い寝室で暖房…勘弁してくれ! 熱中症になってしまう。電気代も深刻なのだから。
そして玄関の扉は全開のまま出かけて行っていた。やはり、出かけた後はチェックしないと色々問題がある。

近くに住んでいるがために、落ち着いて仕事もできず、家にいてもいつチャイムが鳴らされるのかとモヤモヤしっぱなしではあるけれど、これは離れて住んでいたら一人暮らしなんて成り立たない。ヘルパーさんだけではカバーしきれないことがたくさんある。

昨日は、サロンで作業をしていて、母の家の玄関が開いた音がしたので顔を出すと、表情のない母がぼんやりと玄関の外に立っていた。私の顔を見ると、「お葬式関係の方は誰か来てる?」と、謎の質問。
「今、私のお客さんが帰られたところだよ」と答えると、「あなたのお客さん? お葬式の関係の方はどなたも来られないのかしら?」と、さらに意味不明な会話が続く。「誰のお葬式?」と聞くと、「わからないわ」と言いながら独り言のように何かブツブツとつぶやいている。こんな時の対応の正解がわからない。
さらに母の謎トークは続く。
「川端康成のお弟子さんがいるでしょう? そのお弟子さんがこの家の元々の持ち主で、ここに住んでるでしょう?」
え〜? 川端康成? 弟子? 私はビビって聞き返す。
「そう、川端康成のお弟子さんがこの家の持ち主なの」
川端康成のお弟子さんって誰よ! 三島由紀夫か? ちょっと待ってよ、どっちも自殺してるんですけど。
怖い〜〜!
「この家の持ち主は私だよ!(最近相続したばかり!)」と、話を終わらせようとしたが、能面のような母の顔が怖いので、「新聞ポストから持ってきた?」と話を変えて、母の意識をそらしたところ、新聞を取りに行き、一面に載っていた朝乃山に興味が移ったようでホッとした…。朝乃山ありがとう。

何かテレビでドキュメンタリーでもやっていたのだろうか? 意味不明な会話の内容がインテリなところが実に母っぽい。しかしあまりにも突拍子もないことを言われると、もうどうしていいかわからない。ちょっと!漢方頑張ってよ! 
そして会話が成り立たないという現実が、私の心に影を落とす。ボケててもいい、母には笑っていてほしい。表情がないままブツブツと何か言っている姿を見ていると、認知症の恐ろしさを改めて感じる。


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テーマ:病気と付き合いながらの生活
ジャンル:心と身体

認知症の急な坂道を思うとき。

2023.05.29 08:49|未分類
昨日は、私たち夫婦の移住記念日だった。丸8年が過ぎた。
2人とも東京生活の方が長いので、あえてUターンでもIターンでもなく、移住と言っている。8年のうちの3年間はコロナ禍でなんだか何もできないうちに時が過ぎた感じがする。そのうちの2年半は、両親の介護に翻弄されて、自分の生活を楽しむ余裕など何もないまま、ただ季節が巡った。

8年前、私たちが長年暮らした東京を引き払って私の地元に引っ越して来た日、夕方の18時ごろに家に到着すると、両親は居間のちゃぶ台で向かい合って夜ご飯を食べていた。「ああ、着いたの? お疲れ様」と、実に平常心で迎えられたことを覚えている。娘が20数年ぶりに夫と犬2匹を連れて戻って来たと言うのに、こんなに普通なんだなとちょっと笑った。そのくらいでちょうどいい、私たちへの期待値は低い方がいい。私たちは私たちでここの暮らしを楽しむのだから。
そんな風に思ったものだった。
両親は、私たちが移住してくることになり、ほぼ全財産を家のリノベーションにつぎ込んだ。二世帯の造りなので、半分は私たちがローンを組んで、半分は両親が現金で支払った。両親のお金だけでは家は直せなかったし、私たちの財力だけでも無理だった。2つの家族が折半して実現したリノベーションで、これは両親にとっての壮大な終活にもなった。祖母がいて祖父がいて私たち娘が子供だった頃からずっと変わらずにあった古びた家に、長年蓄積された大量の荷物を処分して、必要最低限のものだけを新しい家に入れた。
段差だらけで、急な階段を上がった2階が両親の寝室と言う古びた家だったけれど、すっきりとしたバリアフリーの1SLDKに生まれ変わり、8年前はまだ両親2人ともが仕事をしていて元気だったので、新しい家にもすぐに慣れてくれた。
振り返ると、これがなかったら今は本当に地獄だった。以前の家の作りを思い返すと、本当に両親の命はなかったかもしれないと思う。

結果的に私たちは、引っ越して来たことによって両親の介護にがっつり関わることになったけれど、来なければよかったとは思えないくらい、以前の両親の暮らしはギリギリ限界だった。もし私たちが来なければ、リノベーションにつぎ込んだ現金を元手にサービス付き高齢者住宅にでも住んだだろうか? それなりにどうにかなったのかもしれないけれど、私たちは来るべくして来た救世主だったんだと思うことにしている。
だって、どんなにしっかりしていて健康を疑わなかった両親も、気づいた時には認知症を発症していて、それは本人も気づかないくらいの速度で始まって進んでいくものなのだから。

私たちが二世帯で住み始めた8年前、特にお互い干渉することもなく、週末になれば両親は2人でファミレスに食事に行ったり、買い物に出かけたり、父と母が仲良く支え合って暮らす様子が見られた。家の前を通ると、父が弾くピアノに合わせて母が歌う声が漏れ聞こえていて、2人が何か大声で話して「あはははは」と笑い合っている。
私と言う子供がいてもいなくても、両親の日常はずっとこんな感じで、2人は仲良くずっと暮らして来たんだなと改めて実感したものだった。2人が仕事を引退したあと、桜の季節に仲良く並んで散歩する姿を見かけたこともある。

そんな穏やかな時間は5年ほどだっただろうか。
母が壊れていき、父も車を手放してからは弱って行った。あんなに仲の良かった夫婦が、最後は看取ることもできなかった。ずっと仲の良い2人の姿は、子のいない私たち夫婦の未来の姿なのかな、そうだったらいいなと思っていたので、両親のあっけない別れは本当にショックが大きかった。
離れて暮らしている姉たちには、きっとこの思いはわからない。
ずっと、父より10歳年下の母は、父の面倒をみるのだろうと信じて疑わなかったのに、母が先に壊れて行ったのは衝撃だった。今でも信じがたい。

こうやって記念日にはいろんなことを思い返す。多分この調子で、10年の記念日もすぐにやってくるだろう。
その時に母はどうなっているのかな。私たちは私たちの人生を楽しむために移住して来た。決して親の介護を想定して来たわけではなかった。私たちにも人生がある。親の介護が終わった時には自分たちも老後になっているかもしれないと思うと、正直怖い。だけど、まだ母を手放す決心もつかない。日々試行錯誤が続く。


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姉の帰省時の予定表にモヤる。

2023.05.28 09:37|未分類
2週間後に姉が来る。
私たちは、極力関わらない姿勢で、その日を迎えることにした。よくよく姉の帰省予定を見返したら、15時に到着して翌15時に帰って行くって、なんでそんなに急ぎ足で帰って行くんだ? 年に数回の帰省なのに、まるで逃げるように帰って行く。

その24時間の予定が決まったら一応教えて欲しいと言っていた。
母の現状も何もリサーチされることもなく、放っておいたところ、昨日予定のラインが届いた。
1日目は、駅に到着してホテルにチェックインした後、我が家の最寄りのスーパーに寄ってから、母の家へ。夜ご飯は、何か作って家で一緒に食べるらしい。18時ごろ夕食で、20時ごろホテルに帰ると書かれていた。向こうも私たちのことはスルーのようだ。
初日はまあ良い。問題は2日目で、私の車を借りて母を連れて教会へ行き、帰りに何か買って来て家で昼ごはんを食べて、14時台のバスで駅へ向かい帰宅の途へと書かれていた。
「何か買って」の「何か」とはなんなんだ? 以前父が生きていた頃に帰省して来た時にも、「何か買って来て家で食べる」と言うことがあったが、その時はコンビニのサンドイッチだった。すでに配食弁当生活になっていた両親は、たまに家を抜け出してコンビニに行って、サンドイッチやフルーツを買って来ていた。フレッシュなものが食べたかったのか、何か自分で選んで買うと言うことをしたかったのか、今となってはわからない。その話を聞いて、姉はコンビニで適当なものを買って両親に食べさせたところ、「美味しい」と言って喜んで食べたそうだ。
両親の性格から言って、娘が買って来たものを「まずい」とは言わないだろう。その成功体験(?)から、またコンビニやスーパーで済ませようとしている気がする。
同じフレッシュなものなら、寿司屋で寿司をテイクアウトするとか、普段食べないものをデリバリーするとか、そんなんならわかるけど、もしコンビニだとしたら、せめて外食させてやって欲しい。

なぜなら、今は母はまだ歩けるし、食欲もある。ドリンクバーなどは自分でできないけれど、メニューを見て選んだり、自分でナイフフォークを使って食べることもできる。食欲がまるでなくなって座っているのが精一杯だったあの頃の父とは違うのだ。だけど、姉の帰省が年に数度と考えると、次に帰って来た時にはもう外食は無理になっているかもしれない。病状は日々変わり、進行して行く。外出ができるうちに、外食ができるうちに、連れて行ってあげれば良いのに。せっかく私の車を借りてまで出かけるのなら…。

本当なら、私たちがそれをやれれば良いのだけど、母には母のルーティーンがあり、なかなか外食に連れ出す機会もなかったりする。通院があった頃は、病院へ送迎した帰り道にファミレスに寄ってランチを食べたり、教会の帰りに外食したりしていたのだけど、今はそれもなくなった。
結局、私も姉も母を外食に連れ出すのが面倒なのかな。人の目のあるところで、母をサポートすることはそれなりに大変だからね。それでも24時間しかいないのなら、できる限りのことをやって美味しいものを食べさせてやって欲しいと私は思う。せめて姉には自発的にそんなプランを考えて欲しいと願っていた。
なんとなく面倒くさいんだろうなーと思われる予定表を見て、私はため息をついた。
普段デイサービスと教会以外はずっと家に閉じこもっている母を、外食に連れ出すくらいしてくれてもいいのにな。私たちがなかなかしてあげられないことを、たまに来る姉がしてくれたらいいと思う。
もっと言えば、母の衣替えや冬家電の片付けなどやれることをやって行ってくれたらいいのにと思う。
でも、そんな気は利かない。「短い時間だけど、何かやれることはない?」と聞かれることはもちろんない。

私は姉に返信した。
母がスーパーで勝手に買って来た野菜や肉が冷蔵庫にあること、調味料も怪しいから確認してからスーパーに行った方が良いと言うこと。何か買ってくるなら外食ができるうちに外食させてあげたらどうかと言うこと。
既読スルーであります!
一緒にご飯食べないくせに、ごちゃごちゃうるせーなと思ったのであろう・・・。


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薬が変わって、目が覚めた!

2023.05.27 08:19|未分類
無反応の傾眠状態から始まって、自分の家を忘れたり、2階と1階をウロウロしたり、果ては私に散々会ったことも忘れて、立てこもり犯の人質になっていないか心配してみたり、大変お忙しかった母だったが、一転。
翌日は大変静かで穏やかな1日だった。

夕方の薬が1つ変わったのだが、それがとんでもなく効いたのか? 朝のヘルパー連絡帳にも、「本日は眠気もなく笑顔もたくさんみられました」と書かれていた。たまたま2日連続同じヘルパーさんが入っていたので、その変化を知ることができた。
私がずっと投与を渋っていた薬は「セレネース」。一般名はハロペリドール。精神安定剤だ。統合失調症などに処方される薬のようで、調べると「夜間せん妄、強い不安感や緊張感、また混乱状態をしずめるために用いることがある。特に妄想、幻覚、幻聴、混乱、興奮に強い効果が期待できます」と書かれている。今まで、幻視が出てくると処方されてきた薬だったが、副作用と思われる仮面様顔貌や不眠、動かず黙り込むなどの症状が顕著に出ていた。
確かに幻視は出なくなったけど、元気も奪うのでは意味がない。夫は「あんなに元気がなくなるぐらいなら、今日も子供達がたくさん来ちゃったのよ〜とか言ってるほうが良くない? 別にいいじゃん、なんか見えてたって!」と、言っていたぐらいだ。
いや、あなた日中留守だからね…、それでもいいかもしれないけど、「ベッドに子供達が並んでいるから眠れないの」とか「あなたの車に子供が乗ってるわよ」とか言いに来られたら怖いっつーの! 

そんな私の薬に対する不信感を看護師と医師にぶつけて、木曜夕方から漢方薬に変更となった。
漢方の名前は「抑肝散(よくかんさん)」。認知症には良く使われるメジャーな漢方だそうだ。
神経の興奮状態を鎮めてイライラを改善し、穏やかな生活を取り戻す手助けをしてくれる漢方なのだが、レビー小体型認知症の幻覚や妄想を改善する効果もあるのだと説明された。
いいじゃん! 母は薬剤師だけあって、漢方薬は割と好んで飲むので印象も良い。

レビーの患者は夜に暴れることが多いと聞く。母の場合は、暴れると言うわけではないけれど、夜に色々考えて眠れなくなったり、家の中でウロウロしたり、一言でまとめると「落ち着かない」ようだ。私の家からは、ガラス張りの中庭越しに、母の家の電気がついていることだけはわかるのだけど、どんな夜遅くても灯りがついている。真っ暗になるのか嫌なのかもしれないし、ソワソワと起きているのかもしれない。
私の家を訪ねてきて意味不明なことを言ったりするのも朝4時だったり夜中の1時だったり、外が真っ暗な時間帯だった。その不穏はセレネースを飲んで落ち着いたものの、夜のソワソワは変わらないのか、トイレに起きたらそのまま眠れず、日中に何もないときは無になっていた。
それが、漢方に変えた途端に、朝からニコニコしていると言う。
強い薬は抜けるのも早いのか? 
漢方の効き目についてはしばらく様子を見なければ判断つかないけれど、母の中のぶつけようのない不安感や混乱が治まってくれると穏やかに暮らせるのにと思う。

ま、今のところは、漢方が効いたと言うよりは、セレネースを抜いたことによって母の日常が戻ってきたのかな。

夫が帰宅時に母を訪問した時には、「うちのお父さんはまだ帰って来てないのよね」などと言ったらしく、「お父さんってどこのお父さん?」と夫が聞き返すと、「この家のお父さんよ」と答えた…。「お父さん、ここにいるでしょ!」と、夫が遺影を指差すと、「そうよね、天国にいるんだものね」と、ひとまず現実に戻って来たとのこと。
ああ、良かった。夫は「面白いね!お母さん」と、言った。
いや、面白くないから!
とりあえず、母がおかしなことを言うかもしれないのに、変わらずに帰宅時訪問を続ける夫はすごい。私はやっぱ次は何を言い出すのかと思うとできるだけ接したくないと思っちゃうもん。


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